山本七平

アメリカはアメリカの債務国に対しては「お前の責任だから何とかしろ」と要求しつつ、一方、アメリカの債権国に対しては、「お前の方でこの黒字を何とか解消しろ」という。これはまことに得手勝手な話であって、その態度には論理的な一貫性はない。 ではそれに応ずるのはなぜか。似たような問題はしばしば出て来ているが、その間、一貫しているのが、次の言葉であろう。政府の弱腰、アメリカベったり、対米媚態外交、等々。 だがそういいながら多くの場合、日本は屈伏する。 すると屈伏の連続が屈辱感となり、それがある程度たまって来ると、どこかで爆発する。 これは簡単にいえば、そのとき自分がなぜそれをしなければならないかを明確に意識せずに、「無理難題に屈伏させられた」「外圧に敗れた」と受けとっても「自分がそれによって発展して来た環境を、その発展のゆえに破壊することがあってはならない」と考えないからである。 日本人は、言葉にはならなくてもカンは鋭いから、何となく、納得できないという気持は抱いている。だが、それがしだいに蓄積して来ると、いつかは爆発する。日本人がよく口にする「今度という今度はがまんならない」が出てくるのである。これが出てくるのは非常に危険だから、。。。